「夢」とは何か?何も残らない、何にもとらわれない生き方
こんにちは!
みなさんは、夢を見たことがありますよね? 夢の中では、現実ではあり得ることがあったり、不思議な場所にあったりします。
禅の世界では、この「夢」という考え方に深い意味が込められています。 今回は「夢」という言葉に関する禅の教えと、それをどうやって日常生活に活かす話をします!
夢の世界と現実の違い
夢の中は現実とは自由で、時間も空間もあります。 その中で何かを「やる」ことはできません。
禅では、「夢」とは何も残らず、何にもとらわれない心境を指しています。この心境は、「悟り」に近いとも言えるかもしれません。
沢庵の「夢」:すべてを超えた境地
江戸時代の僧巌・沢庵宗彭(たくあんそうほう)は、死ぬ間際に「夢」と大きく書き、その下に小さくこう添えました:
「是亦夢非亦夢(ぜもまたゆめひもまたゆめ)」
この言葉の意味は、「これもまた夢、これもないのもまた夢」ということです。
つまり、現実も夢も、その違いにこだわる必要はないということです。 「これが正しい」「これは間違っている」といった執着や、「成功したい」「失敗したくない」という欲望を超えたところに、本当に自由な心がある、という教えです。
くよくよしたときは「夢」と書こう
現実では、思い通りにいかないことや嫌な出来事に悩むことがありますよね。でも、それでは過ぎると心が苦しくなってしまいます。
そんなときは、「これは夢なんだ」と思ってみてください。そう考えて、悩みや怒りが少し小さくなれる気がしないかもしれません。そして、心が晴れないときは、思い浮かんだ紙に大きく「夢」 」と書いてみましょう。
とりあえずで「なんだ、こんなことしなくてもいいんだ」と気づけるかもしれませんね!
禅の教えと日常生活
この禅の教えを日常に取り入れて、もっと自由な気持ちで生活ができるようになります。
- 失敗を恐れない
勉強や部活で失敗しても、それは「夢」と考えて執着せず、次に進む気持ちが大事です。 - 他人の評価に必要以上にとらわれない
人の意見や評価も「夢」のようなもの。自分の心を大切にしましょう。 - 「正しい・間違い」にこだわらない
自分の意見が正しいかどうかに執着せず、「まあ、どちらでも十分」と広い心を持つことができます。
終わりに
夢は実体がなく、はかなく忘れてしまいます。でも、その「夢」には執着や迷いがなく、自由があるのではないでしょうか
次にくよくよしたり、イライラしたりしたら、「夢」と心の中でつぶやいてみてください☺️。
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